夢喰う女子大生の日常

本と音楽を愛する女子大生の頭の中。

十一月は深き回想の海を

初めてのブログタイトルは自分で作るのも荷が重いので蔵書の中で1番多くを占める作家、恩田陸の著書『 三月は深き紅の淵を』より取ってみた。


ブログを書き初めるにあたって悩みに悩んだ末付けた名前には既に少し心苦しさを感じながら書いている。

それは今がもう折り返し地点を曲がってしまった3回生秋学期であることと、この名前を名乗ることができるのは後500日程しかないことの二つが原因だ。


なぜこのタイミングにブログを始めたのか?



この時期、就活にゼミに部活にならなければいけないことはたくさんある。
それでも自分の考えを書き出すことを始めようと思ったのはなぜか。

私は本来文学部であるくせに自分の考えを書くことが苦手で、しかも人に伝えることも下手くそである。

おしゃべりな故にコミュニケーションは上手く取れる方だが、どうもディスカッションや自分の意見を人に伝えなければいけない場になるとさっきまでペラペラ喋ってたのに途端に萎縮してしまう自分がいる。


なぜこんなにも人前で自分の考えを明らかにすることが怖いのだろう?
この問題を考えたときに小学生の頃の自分が否応なしに思い出されてくる。


今では友達に誘われる予定でスケジュール帳が埋まる反面お金と時間は無くなることに悩んでいる私だが、小学生の時の私は全くの別人であった。




転校したての小学四年生の頃、見知らぬクラスメイトにビビりまくっていた私は自分が転校生としてどう見られているのかに恐れ、理想としての私というキャラを無理して作りあげることに凝っていた。

そしてキャラという仮面をつけた私は転校生という新しいもの好きなクラスメイトたちに受け、もちろんたくさん友達ができた。
しかし、困ったことにその友達らは仮面の下の本当の私とは馬が合う子達ではなかった。
当たり前だ。わざわざ自分を偽ってこしらえた仮面をつけて仲良くなった子達なんだから。

当時の私に自業自得だと言ってやりたいが、10歳の子どもにそんなことを理解できるはずもなく、自分で作った仮面と本当の私との乖離に悩まされることになった。


そのうち自分に嘘を付けなくなってきた私は彼女達のノリに馴染むことができずにいつのまにか集団からハブられるようになっていった。

さらに悪かったのが、本音を打ち明けた友達にさえこっぴどく裏切られたことだ。仮面をつけていたとはいえ、この子なら大丈夫かもしれないと思った子がひとりいた。自分の奥底に普段はしまってある人には簡単に言えないような事柄を私はその友達に打ち明けたのだ。だからこそ、その子から受けた裏切りは私をよりひどく傷つけることになった。


中学でも繰り返しそうになるものの奮闘の末に気のの休まる本当の友達を見つけることができ、ハブられ地獄から脱出することになる。
そして中高大へと進学していくうちに友達への接し方や自分のさらけ出し方を学んでいき、無理して自分を作ることなく、今ではほとんど本来の自分として人と関わることができるようになっている。



でもやはりどんなに気の置けない友達であっても
1番の友達と言える子にさえも、自分の悩み事や過去のことを簡単に言おうとは思わない。どう打ち明けていいのかも分からない。




自分の考えを人前で堂々と伝えることに恐れを抱くようになったのは多分これらの体験からである。


友達の輪から外されればクラスメイトたちからさえも痛烈な視線を浴びることになり、「ハブられた子」というレッテルが貼られる。

そうして絶えず人の視線を気にするうちに、授業やホームルームなどの公の場で発言することなど以ての外。他人に対して本来の自分を曝け出すという行為が怖くなってしまった。




そこでブログを通して自分の考えや見聞きしたことを発信していくことはこのことの助けになるのではないかと思ったのだ。

今日から約500日間、モラトリアムが許される大学生の間にできることはたくさんあるだろう。私は進めるだけ前に進み続けたい。






こんなことを言ってしまってはあれだが、実はブログを書き出すまで、本を読んだり新しい知識を仕入れることが好きな割にそれをうまく利用することができないことに困っていた。最近では頭の中でいろんな考えや知識がカオスなほど溜まりきって渦をまいてるような状態でさえあった。ここから抜け出すため、少しでもアウトプットの練習になればいいと簡単に思っていたくらいだ。


アウトプットできない根本的な理由に気付いていなかったが、書いているうちに段々と過去のことを思い出したらしい。